AKANET2号

連載A

   エッセイ

私の好きな街

「ふるさと」と呼べる街  志知久仁彦

 東武東上線・柳瀬川の駅に着くともう秋の虫の声が響き、

外は少し肌寒いくらい。この土地に越してきて、早一ヶ月が

過ぎた。

 明るく「ただいまあ!」と言うと、小二の娘が飛びついて

きた。

「ねえねえパパ。ふるさとってどういう意味」

「突然になんだよ。まず『お帰りなさい』でしょ。」

「わかったわよ。お帰りなさい。はい。これでいいでしょ。

 おしえて。」

「あのね。ふるさとっていうのはね、人が生まれて育った場

 所のこーと」

「じゃあさあ、パパのふるさとはどこ?」

「パパのふるさとか。うーん……」

「ねえ、どこ? もったいぶらずにはやくおしえてよ!

 ひょっとしてパパは本当は自分のふるさとを知らないんじ

 ゃないの?」

「こら! 知ってるさ。パパのふるさとはだな、船橋市の高

 根台っていう所さ。」

「あっそ。」

 キッチンでけらけらと笑っている妻に

「かあさん。早くめし!」と一言。

 そう言えば、初対面の人との会話の中でよく「ふるさとは

どこですか?」とか「おくにはどこですか?」という問いか

けに東京生まれの船橋育ちの私は、『ふるさとと呼べるとこ

ろは無いんですよ。』

 船橋の高根台というところは、日本の高度成長期に造られ

たニュータウンで『団地族』なる言葉のできたところである

関東ローム層の大地を切り開き、様式のトイレとステンレス

のキッチンセットにダイニングを備えた鉄筋コンクリートの

近代的集合住宅だった。

 

 

たぶん、サラリーマンがあこがれて入居した街にちがいな

い。もう三十五年も前のこと。そうだ、あのときの私も娘と

同じ小学二年生だった。

 夏になれば団地の裏山でカブトムシやクワガタが箱いっぱ

いとれた。秋には学校の帰り道で桑の実を口いっぱいほおば

り、顔中紫色にした。冬には団地のアスファルトの道路でズ

ボンの尻がすり切れるまでローラースケートをした。春には

赤土が舞い、10メートル先も見えなくなる。少し遠出をす

れば田圃にはオタマジャクシがうようよ。

 今では山もなく、田園もなく、まして赤土の舞う原っぱも

ないきれいな街になった。そうだ、この街が私のふるさとな

のだ。

 私のふるさとは、『船橋の高根台団地』。今度「ふるさと

はどちらですか?」と聞かれたらそう答えよう。ふるさとと

呼べるような所が無いのではない。ふるさとであることに気

づかなかっただけだ。

 そして父親になり今越してきた所もまたニュータウンの団

地の中。

 子供たちがこの街で育ち、やがて大人になりふるさとがど

こかと聞かれたとき、きっと今の私のようにこの街を思い浮

かべ、この街がふるさとと答える日が来るだろう。何年も先

のことだけど。

 この街にはカブトムシやクワガタやオタマジャクシもいな

いけど、すぐ脇には柳瀬川が流れ、近くには山や畑や田圃も

ある。ひょっとして何か違う発見があるかもしれない。

 ビデオショップにファミコンショップ。進学塾にスポーツ

クラブ。ファミレスにゲーセン。時代の流れとはいえそんな

街がふるさとになってほしくない。街づくりに関わる一人と

して、また父親としても、何かもっと出来ることがあるはず

だ。何かきっと。

「パパ! パパ! ゲームやろうよ。」

耳元で叫ぶ息子の声ではっと我にかえった。

「ところでかあさん、飯はまだ?」

「なに寝ぼけてるの。とっくにできて食卓に並んでるわよ。

冷たくなってね。」

「あっそ。」

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