AKANET4号

                            き し も じん

 

 雑司ヶ谷一帯は珍しく戦災を免れ、古い家並みが残り、緑

も多く情緒ある風情と共に文化的雰囲気を持つ静かな街です

雑司ヶ谷 鬼子母神 は子授け・子育ての神として、江戸時

代から江戸と近郊庶民の信仰を集めてきました。本堂は嘉永

4年(1664)加賀前田侯の娘・自昌院の建立と伝えられ

ています。このことから将軍家や大奥が参拝するようになり

江戸名所として有名になりました。現在でも「新東京百景」

の一つに選ばれている名所です。

 日蓮の忌日を中心に行われる「お会式」には、将軍・大奥

・御三家・諸侯・旗本が揃って参加し、雑司ヶ谷界隈は大賑

わいでした。特に最終日の万灯練供養行列には近郷近在はも

とより江戸中から人が集まり、護国寺から鬼子母神まで行列

の波が切れることがなかったと伝えられています。

 現代ではビルに覆われて鬼子母神の境内から富士山を臨む

ことはできませんが、江戸元禄の頃は雑司ヶ谷から富士山が

よく見えていたようです。「広重の雑司ヶ谷不二見茶屋」に

は物見遊山を兼ねた神社仏閣詣での途中、富士山の見える茶

屋で休む庶民が描かれています。

 鬼子母神には、多くの絵馬が掲げられていますが、中には

元文の頃の作と伝えられる文化財指定の名作もあります。ま

た古くから伝わる郷土玩具に「すすきみみずく」があります

  

鬼子母神本殿:右手前がお百度石

  AKANET目次プレビュー