AKANET4号
私の好きな街 花と緑と彫刻の街 富重 克彦 東京から飛行機で1時間半、瀬戸内海に面した工業都市、 山口県宇部市。石炭で活気づき、人口が急増したため村から 町を通り越して一気に市となり、現在ではセメントをはじめ とする工業製品を生産する人口17万人の工業都市に成長し ています。 昔の人々は考えました。「石炭は限りがある。なくなって からでは遅いので、その前に石炭にかわる新しい産業を興さ ないと街は廃れてしまう」 そう考えた人々は、セメントをはじめとする工業製品を作 り出すことに成功したのです。セメントについては、近くに 秋吉台をはじめとする原料山があった事が幸いしました。 又、セメント製造には、石炭採掘技術が生かされました。も し、昔の人々が石炭の好景気に浮かれていただけなら、北海 道や北九州の閉山された炭坑都市と同じ運命を辿っていたこ とでしょう。 新しい産業を興すことに成功した人々は、さらに魅力ある 街づくりに取りかかりました。幹線道路を広げ、港を整備し 空港を作りました。さらに、ホテルやスポーツ施設を作り、 着実に街づくりを推進しました。これだけなら一地方都市の 出来事にすぎませんが、宇部は違いました。 工業都市にありがちな殺伐としたイメージを払拭するため に、市内のメインストリートにたくさんの花と緑を植え、随 |
所に著名作家の彫刻を配し、「花と緑と彫刻の街」を創り出 したのです。 昔、潅漑用として作った池には、ドイツより白鳥を迎え入 れ、「白鳥の湖」として観光用に売り出しました。この湖を 望む丘にも数多くの花と緑と彫刻を配し、ここでは国際ビエ ンナーレ彫刻展が2年毎に開催されています。 また、宇部には建築家 村野藤吾氏の作品が多いことでも有 名です。村野氏の出世作となった宇部市民館、そして遺作と なった宇部興産ビル(宇部全日空ホテル)を含む8つの作品 が現存しており、市民館は、60年経った今でも市民に愛さ れて大事に使用されています。戦前、大阪以西では本格的な オーケストラの演奏ができる唯一のホールでした。これらの 施設は、いずれも都市の貴重なストックとなっています。 今では、「花と緑と彫刻の街」をベースにして、新しく大 学や工場を誘致し、テクノポリス宇部として将来にむけ更に 発展しようとしています。 その宇部で私は生まれ、上京するまでの約20年間を過ご しました。今では、年1、2回帰省するだけとなりましたが 私が建築を志すきっかけとなった村野建築との出会いの時や 「花と緑と彫刻の街」の風景が私の人生を方向づけてくれま した。 様々な環境の変化に、ハングリー精神で立ち向かってでき た宇部の街のように、私もハングリー精神を忘れずに生きて ゆきたいと思っています。 |