AKANET創刊号

連載@

   エッセイ

私の好きな街

「都電の通る昼下がりの街並」  稲生若水

「次は鬼子母神前、鬼子母神前、お折りのお客様はお近くのボタン

を....。」

 オヤ?!私が乗った駅が鬼子母神前なはずなのに....。

確かそれから3つ目になるのに「鬼子母神前?」思わず耳を疑い窓

の外の案内板を見る。「河原」と書いてある。

 午後三時を過ぎている。電車の中は異常なぐらい高齢者が多い。

多分乗客の九十パーセントはいる。テープ案内が違っているような

のだがみな平然として乗降している。私は何かキツネにつままれた

ような気持ちで電車に乗っていた。

「次は雑司が谷、雑司が谷お降りのお客様は....。」とテープ

案内が車内にひびく。

 何か変だ!思わずまた、外の案内板を見ると「大塚駅前」とちゃ

んと書いてある。絶対にテープが間違っていることを確信する。し

かし、乗降は何の問題もなくスムーズに行われている。

 こんな時、「運転手さん、テープ案内が違いますよ!」と教えて

あげたいのだが、私以外の乗客が、知ってか知らずか、あまりにも

スムーズに乗降している姿を見ると、わざわざ言わなくても私が注

意して窓の外の案内板を見て下車すべきだろうと思ってしまう。お

かげで、停車するたびに注意深く外を見るようになってしまった。

「次は巣鴨新田、巣鴨新田....。」相変わらずズレている。本

当は西ヶ原四丁目なのに....。

 私はもう東京生活が十五年にもなるのにこの都電に乗ったのは初

めてであった。普段は京浜東北線、山手線、地下鉄線の利用客であ

る。もし、この線でこんなことが起こったら乗客は完全パニックに

なり、大騒ぎになるに違いない。と思いながら、何か異次元にいる

ような気分で都電を楽しんでいる。

 高齢者の乗客は、相も代わらず、テープの案内を知ってか知らず

か、スムーズに乗降している。きっと自分の乗った駅からいくつめ

の駅で降りることが頭の中に入っていて、案内テープなど耳に入っ

ていないのか、もしかして耳が遠くて聞こえないのか?(失礼)と

にかく不思議な乗客たちである。

「次は西ヶ原4丁目、西ヶ原4丁....。」テープがそう

言っている時。

 やっと隣の老夫婦がこのテープ案内の間違いに気づいた

らしく、会話が聞こえてきた。

「このテープ案内おかしいわよね?」隣の夫らしき老人が答

える。この回答が面白い。

「運転手がボケてんだよ!」「あんなにボケててよく仕事が

出来るよな!」「俺よりひどいよなっ!!」

 思わず、私は声を出して笑ってしまった。この夫らしき老

人は最初からテープ案内の間違いに気づいていたようなのだ。

ついつい私も面白くなって、隣の老人に話しかけてしまった。

私   「私も鬼子母神から乗ったのですが、どうもおかし

     いと思ったんですよ。」  

老人  「こんなのしょっちゅうだよ!都電の運転手はそう

     とうボケてるね!」

私   「でもみんな良くだまって乗っていますね。」 

老人  「みんなそう思って乗っているんだよ。」

私   「ハハハハ....ッ。」

老人  「ハハハハ....ッ。」

 面白い! 実に面白い!! もう最高!!

運転手もすごいけど、乗客はさらに上をいっている。

 殺伐とした東京で、こんな体験ができるのは都電の中ぐら

いのもの。しかも昼下がりだ。

 都電の通るこの街並、そこにすむ人達、私は大好きになっ

てしまった。考えていた東京の街並と別世界の街並がそこに

あるからだ。皆様くれぐれも、都電に乗ってテープ案内が間

違っていても、腹を立てて運転手を怒ってはいけません。あ

なた以外の乗客のほとんどが暗黙の了解で乗っているのです

から。

「それにしても運転手は気づかずに相も変わらず三つ後の駅

をテープで案内している」

オッと王子駅だ下車しなければ!

「アブナイ!アブナイ!」

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